今を歩む Suzuki Boneuの「我が道ブログ」


鞆の浦 観光鯛網が始まり そして 2018.5(2)

鞆の浦では観光鯛網始まりました 夏の海水浴シーズンに向かって鞆の浦が旬な時期ですね 6月後半ともなれば「ちりめん」漁も解禁となり今年で3年目をむかえる「ちりめんグルメ」」が始まりますのでこちらのプロジェクトも着々と進んでおります Boneuとして「ちりめんグルメ」一年目は「鞆SOBA BLACK」として混ぜソバで提案 2年目は「たいおこ」でした たいおこを商品開発するにあたって考えたのが「広島県」であることの意識でした 鞆の浦の企画ですので鞆の浦を意識してコンセプトを組み立てていくのですが、去年から「広島県福山市鞆の浦」であることを意識しています そして今年の「ちりめんグルメ」Boneuとして何を作るのか?もちろん去年と同じって選択肢もあるのですが 私としてはこの企画で毎年商品を生み出すことにとても価値があると感じているので何とか新しい商品を生み出したいと思っています 今一番候補として有力なのが「汁なし担々麺」です 広島としての認知度を上げていく流れもありますし いまBoeuが力を注いでいる「食卓アプリ」との連動も出来そうなので ですが一番の問題は私が汁なし担々麺を食べた事が無いこと(笑)なので食べ歩きに行ってこようと思います

多様性を認める 2018.5

接する相手や環境などで、自分自身のキャラクターを使い分ける。みんな多かれ少なかれいくつかの自分を持っていると思います。親との自分、家族との自分、幼馴染との自分、仕事での自分、一人の時の自分。自分自身に多様性があるように、相手も多様性がある。人格は単純な性格では分けられない。国籍や民族、言語の違いや身体的な違いなど、多様な環境で暮らし、さらに個人個人が多様性をもっている。戦争や争いなんて多様性を認めることでやめられるんじゃないだろうか?なんて考えてます。では、何から始めたらいいか?

私は自分自身の多様性をみとめることから先ずは始めたらいいんじゃないかって思ってます。

いい人でありたい自分、なれない自分、一人でいたい自分、寂しがり屋な自分、、、自分自身を「こうあるべきだ」と律することはとても大切だとは思うけど多様性のある自分を認めることはもっと大切だと思います。そうやって、ダメな自分や背伸びしている自分、嘘つきな自分すら受け入れることで、きっともっと成長できると思うし、もしかしたらその先には、自分とは対峙する他者も受け入れることもできるかもしれない。

 受け入れるって、肯定や否定ではなくって「ただ認める」でいいんだと思う。自分とは違う考えの「こと」としてただ受け入れる。大切なのは違う考えや、いやな出来事に対して「人格」ではなく「こと」として受け入れる。

 アンパンマンはバイキンマンに対して「バイキンマンゆるさないぞ」とは言わないらしいです。「バイキンマンいたずらはゆるさないぞ」と、バイキンマンという人格を否定するのではなく、バイキンマンがおこなった「いたずら」という「行為」に対して行動している。素敵です。

 

私は20代の頃 自分が嫌いでした。嫌いというか弱い自分が情けなくて認めたくありませんでした。でもそんな自分を嫌いでいることがもっといやになってとにかく自分を好きになろうとしていた20代でした。30代になって少しずつ自分を好きになれるようになってきて、自信というか楽しいって思えるようになった。40代に突入した今、20代の時のようにただ、自分を否定して「なりたい自分」を目指すのではなく、自分自身の多様性に向き合い一つ一つ認めていこうと思ってます。


鞆ちりめんTシャツの季節です 2018.4

豪快に咲いて散っていった2018桜。「鞆ちりめんTシャツ」の販売もThirdSEASON ホームページからも購入可能になったこと、また価格も変更し、より購入しやすくしました。先日、鞆の浦のイベント(軽トラ市)に出店した際、あるお客様が、「これは本が二だな、」とワタリガニを指さし、お連れさまも「うん、ほんがにだね」と。

 この「鞆ちりめんTシャツ」についてここでおさらいします。「鞆の浦の名物料理を創りたい」というのはわたし(Boneu)の夢のひとつなのですが、そのチャレンジメニューのひとつ「鞆SOBA」を鞆のイベント(軽トラ市)で販売する際 なにかパフォーマンスとして身に纏いたいと思い、作ることになったのが「Tシャツ」どんなデザインにしようかと思ったときに浮かんだアイデアが「地元の魚のイラストに地元の呼び名を書く」でした。そうなると話は友達のDesignProducerのmakoくんに。まこ君とミーティングを重ねて出来たのですが、その際肝心のお魚は「何を」書くかってことをBoneuが取引しているお魚屋さんの「岡崎丸」の岡崎さんに相談しました。たくさんの候補をいただき、その中でイラストとして面白いものって視点と、私がどうしても入れてほしい魚って要望から選ばれたのが「ちりめん・ワタリガニ・ちいちいいか・サヨリ・ネブト・じゃこえび」の6種類でした。販売を始めたころ、「へ~これ鞆の浦のお魚?」とか「あ~~ギギ入れないと~~」とか「かわいい」とか私の期待以上にTシャツを通じて鞆の浦のお魚で会話が出来ました。

 で。話は先日のお話にもどりまして「ホンガニ」。

私はこのTシャツは地物のお魚を地元の呼び名で表現することが面白いって思っていたので、「ネブト」や「じゃこエビ」「チイチイイカ」みたいな他の呼び名を持ちつつもいかにも地元っぽいってのがいいなと思ってました。そんな中デザイン的に「ワタリガニ」は入れたいって思いも強く、また、鞆の人もワタリが大好きって知っていたので「ワタリガニ」をデザインに入れたのです「ワタリガニ」と書いて。

だけど、、、知りませんでした、、、、いや、そもそもワタリガニを「ホンガニ」と呼ぶ人がどれだけいるのだろうか?リサーチが足りなかったといえばそうかもしれないけど、私の周りでは「ワタリガニ」または「ワタリ」と呼んでいる人しかいなかったのです。

「ホンガニ」

その方に説明してもらうと「カニでもワタリの他に石ガニがいる。でも鞆の人間にとってカニといえばやっぱりワタリ。だから石ガニにたいして『本物のカニ』っていみで、本ガニと呼ぶ」ということでした。なので字に書くとすれば「本ガニ」ですね

とてもいい話を聞けたと同時に「鞆ちりめんTシャツ」を作ってよかった!と改めて心から思いました。私みたいに他県から来た人間にとって、あたたかく迎え入れてくれる「地域」はほんとにありがたいとおもっています。でもやっぱりちょっとジェラシーも感じたりするのです。知らない言葉やローカルな話とか、、、”ここ”のおもいでってやっぱり私にはありません。だけど私にとっては”ここ”に来てからから、これからが思い出ですから「鞆ちりめんTシャツ」から生まれる地元の会話はほんとにうれしい。

 作ったからにはどんどん売りたいのが商売だけど私にとって実はこのTシャツを作った時点で完結しているのです


これからやってくる新時代から野暮だった時代を振り返る 2018.3

飲食業界の問題として「人手不足」があります その根本的問題はなにか?そのことをずっと考え続けて来ているのですが、問題の本質が見えないなりにも「自分には何ができるのか?」と自問自答し行動に起こしたのが起業でした。「日曜日は休む、夜の営業もしない」業界の不人気に対しての挑戦として今も続けている取り組みです。

と、それは置いといて 飲食業界の人手不足の根本的問題について今回はブログります

 「POSレジ革命」という言葉があります。ファミリーレストランやファーストフードチェーン店などでよく見かけるあのPOSレジです。ハンディーターミナルでオーダーを取り、データ転送された伝票は厨房に出力される。お会計はバーコードで読み取れば合計金額が出る。一日のレジ締めやデータ解析などなどとにかく飲食店のチェーン展開を一気に進めたPOSの登場はまさに革命だったのだと思います。そして、それ以降、POSレジ革命のような革命が起きないまま今に至る飲食業界です。でもです。でもこれからPOS革命を越える革命がやってこようとしてます それはキャッシュレス時代です。2020年に向けてどんどんキャッシュレスは進むと思うのですが、飲食業界にとってキャッシュレスで起こせるオペレーションの改善は今まででは全く違ったお店のつくりを可能にできます。

今までのオペレーションをざっくり説明すると

ご来店⇒ご案内⇒オーダーリング(メニュー説明)⇒調理⇒提供⇒お会計

ざっくりとはこんな流れです

ですが、これからは

ご来店⇒オーダー&会計(タブレットかスマホ)⇒調理⇒提供

です。ラーメン屋さんだとしたらこんな感じです

お店に入る⇒空いている席に座る⇒タブレットか何かで注文すると同時に決済も済ます⇒(調理する)料理が来る⇒食べる⇒帰る

この流れだとお店は一切「オーダーリングとお会計」をしないオペレーションになります。この業界で働いている人なら「オーダーリングとお会計」がないオペレーションがどれだけ凄いことかわかると思います。飲食店舗はとにかく「美味しい料理を作り、お客様に素敵な時間を過ごしてもらう」こどに集中できます。キャッシュレスが当たり前になった数年後には「現金をだしていた野暮ったい時代」と今までの時代を振り返ってると思います 美味しいものをたべて、楽しい会話とかをして、店員さんとも楽しく話したり料理について会話したりした後に「はい。1500円いただきます、、、お釣りの500円です」とかって、もうなんか野暮ったい(笑)私はキャッシュレスが待ち遠しい

(あっ食券機はほぼその機能を持っていますが、まったく違います 着席してのオーダーと入口で並んでのオーダーとは全く違いますw)

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鞆の浦のスペインバル「ミル・グラシアス」 2018.2

「ボヌー通信」を2018年からスタートしまして早2カ月。毎月発行するようにしてますので2月で№2です。新聞折込などには出していないので基本は水呑CafeBoneuにご来店いただけたら置いてあります。ですが、それだけではさすがに寂しいのでと、ご厚意に甘えて鞆の浦の「サンモルト」さんの「さんもると通信」に混ぜてもらってますので、今までさんもると通信がお家に届いていた方には1月からボヌー通信も一緒に届いていることと思います。ありがたいことですチェック社長ありがとうございます。

さて、題名の鞆の浦のスペインバル「ミル・グラシアス」について。外観は鞆の住居をリフォーム、鞆の雰囲気とマッチしていながらワクワクするような異国感ある感じです。店内はカウンター5席と2名様用のミニテーブルが一台とこじんまりとした店内ですが、外観以上に鞆の浦とスペインを同時に感じれる何とも形容しがたい素敵な内装です。あっ!先に行っておきますが、ベタ褒めしていきます(笑) 料理は小皿のタパスが5~8種類くらいでしょうか?だいたい500円くらいで品ぞろえしているので一人でも気軽に2,3品頼めて楽しいです。お酒はビールとワイン、グラスの赤が2種類と白が2種類、あとボトルもあります。蒸留酒もあります。

 私がこのミルグラシアスを知ったきっかけは、「本」です。スペインバルが鞆の浦にオープンしたという噂は聞いていたのですがなかなか行く機会がなくそうこうしているうちに、いつも私に影響を及ぼすA氏が、ある「本」を貸してくれたのです。その本は、ある日本人がスペインに単身渡り「闘牛士を目指す」という自伝本でした。その日本人こそミルグラシアスのオーナーです。本の内容はここでは書けませんが、私はその本を半分読んだ時点で全身に鳥肌が立ち、興奮が抑えられず仕事が終わってそのまま鞆鉄バスに飛び乗りミルグラシアスに飛び込みました。穏やかそうなオーナーの丁寧でホスピタリティーの塊のよう接客と異国に来たような高揚感を味わえる店内、美味しい料理にワイン、最高でした!ミルグラシアスに出逢ってわたしは改めて「お店は人」だと再認識しました。内装も、料理も、お酒もお店の空気感はすべて人が作る。その人の物語を感じる。そんな当たり前だけどほんとに大切で素敵なことに改めてくづかせてくれたのがミルグラシアスです。大好きな鞆の浦でスペインバルをしている。あこがれだけじゃなくて私も鞆の浦で勝負したい!そんな勇気ももらいつつ出逢いも頂きつつ楽しませていただいております。


郷土愛ってそう言うことか  2018.1

水吞CafeBoneuも無事2018年を迎えることができ 早速新たな取り組みとして「コースメニュー」をスタートさせました いままで「俺のランチ」はコース仕立てで提供してきたのでその一つのスタイルをメニューにしました といった感じです

さて 今回は「郷土愛」について 郷土愛についてっていっても 郷土愛とはこういうことです!!って話じゃなくて お客様の一言から郷土愛を感じて「あぁ郷土愛ってこう言うことかぁ」(←微妙なニュアンスの違いがあります)ってしみじみしたのでブログを書こうとなったわけです 

私は鞆の浦が大好きだし 鞆の浦の名物料理を創りたいと思ってるし 鞆の浦に対しての想いは結構熱く持っているのですが その想いは私のもので誰かの為ではないし自分の欲求でしていることなんだけれども… ある日のランチタイム 年配のお客様がゆっくりとした時間帯にご来店下さりお食事をしてくれました 帰り際にお見送りのためにわたしが厨房からでてあいさつしたとき「あなたがオーナーさんですか?」と優しい笑顔で話しかけてくれました 私が「ハイ」と答えると 「そうですか いいお店ですね あなたが鞆の浦を好きだって言っているのを知って来たんですよ」とおっしゃって帰られました もちろんうれしくて「ありがとうございます よろしくお願いします」なんて感じでお見送りしました

その方は鞆の浦の方だそうで「ネブトの干物の燻製」も珍しいからと買ってくださいました 私はその方の「鞆の浦が好きだって言ってるのを知って来た」って言葉に 「あぁ郷土愛ってこういうことかぁ」って感じました 自分の生まれ育ったまちを好きだと言ってくれる人に対してうれしいと感じる気持ち それは我が町(鞆の浦)のことが大好きで誇りに思いはまさに 無償の愛だなって思いました 私は以前にもお世話になっている人から「鞆の浦を好きって言ってもらえるのがうれしい」って言葉をいただいたことがありました。その方もやっぱり鞆の浦のこれからについて真剣に考え行動されている方です そしてそう考えてみると私の周りは私の鞆の浦や福山に対しての想いがうれしいって感じてる方ばっかりだなって気付いたんです みんな共通して郷土愛にあふれている 住む町を「我が町」と感じる素晴らしさですよね 他人事でなく自分事として我が町のことを想うから そんな我が町を好きって言ってくれるだけでうれしいって感情になれる 「我が国」とが「我々人類」なんていきなり考えないで今自分がどこまで「自分事として考えているのか」自問自答してみようと思いました

生れた町ではないけど 私も鞆の浦を好きだって言ってもらえたらやっぱりうれしい でもなかなか我が町とは言えなかったのだけど これからは「我が町福山」「我が町水呑町」そして「我が町鞆の浦」を好きって言ってくれる人には「ありがとう」って言葉で伝えようってそう思いましたとさ


2678年 西暦2018年 平成30年  2018.1

新年あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします


2017年を振り返りつつ2018年を考える 2017.12

2017年10月から始めたこの「我が道ブログ」。とくにひと月に一回とは決めていなかったのですがそうなりつつあります。Facebookでも想いや行動などをアップしていますが、ホームぺージから見てくださる方も多いと気づきました なので始めたこのブログ 気付きなどをアウトプットすることで自分と向き合うとともに私の考えを可視化することでより繋がりが太く大きくなったらいいなと思っております
さて

たくさんの出逢いと気付きを頂いた今年 仕事も私自身も内面を見つめ現状を認識するための一年だったなと振り返り思います自身の弱みに気付き、強みも絞られました。何をすべきか?何をしなければいけないか?来年の(これからの)すべき事にむけ、いい気付きの一年をありがとうございました。

来年の私(Boneu )のテーマは「伝える」です。仕事に置き換えるなら営業力やデザイン力告知・メニュー・接客

私自身は「スピーチ力」を鍛えたいと考えてます文章力や一対一の会話力、そして大勢の人の前で話せるように。そんな目標を来年は掲げます

また 新しく2018年から「ボヌー通信」を毎月発行することにしました おすすめの商品やイベントなどBoneuの情報を毎月発信します これは「伝える」の目標を掲げたときに思いついたアイデアです。そんな感じでもっともっと「伝える」ことに夢中になっていきたいと思います ではまた。

 

 


山本五十六大将と村上信夫シェフと近頃の若者は(後編)  2017.11

そんな業界ですが、私は好きで続けてきましたし今この業界で活躍している人も、もれなく好きで好きでたまらないんだと思います。わたしは、山本五十六の「やってみせ 言って聞かせ させてみせ ほめてあらねば 人は動かじ。 話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば 人は育たず。 やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず。」ってことばが好きで仕事場のパソコンの前に貼ってます。この言葉を何とか自分に落とし込みたくて(つまりできなてない)貼ってます。

村上信夫シェフのエピソードとして若いころ鍋磨きをしていた時、ソースの味を教えないために先輩が鍋に塩をふってから洗い物に出すから味を覚えることが出来なかったが、3年間ひたす鍋をピカピカに磨き、認められ、ソースの残った鍋を洗い物に出してくれるようになり味を思え、、、って有名な話があります。きっとこの時代はどんな仕事もそんなふうだったんじゃないかなって思います。私の父親は機械関係の仕事をしてて鉄の職人ですが厳しい世界だったんだろうなって感じますし、テレビや書物とか見てもこの時代は厳しかったんだろうなって思います。

高度経済成長の時代をつくった団塊の世代のころってつまり、人口が増えて経済も発展しどんどん豊かになっていった時代。団塊の世代が集団就職で働き口を求めて都市に集まる。日本はまだまだ成長の途上。失業者もたくさんいただろうし会社はできてはつぶれてとそんな時代。

この時代の人材育成ってどうだったのだろう?一人しか雇えない会社に二人三人と働きに来る、採用からされない人もいれば1/2の給料で二人雇うとかもあったかも。つまり、少ない仕事にたくさんの人が群がっているとしたら、経営者は「振るい」にかけると思う、やる気のない人、不器用な人、身体の弱い人、いや、、、というよりその職業、会社に向かない人は残れない、くらい競争が激しかった時代だったのじゃないかな??団塊の世代の若者が押し寄せる中、会社も従業員もより厳しく、そして必死に働いて、日本の経済成長を成し遂げた。

私は団塊ジュニア世代の終わりころ。高校卒業したころにはいわゆる「バブル経済」は、はじけ就職氷河期と呼ばれて何年かたってました。

私が今回「経営者として教育(人材育成)について」考えるのは、この大東亜戦争後の経済成長からバブルがはじけたまでの職場での教育(人材育成)が特殊な時期だったんじゃないかってこと。団塊の世代の圧倒的な数のパワーと経済成長によって教育(人材育成)が、ある部分は研ぎ澄まされ、またある部分は荒削りに人を育てていたんじゃないかな、、。そして今。働く人間は少なく、各業種で取り合いをしている中で飲食業界は長く「昭和」な「体育会系」教育方針でやってきた「つけ」がいま、業界の不人気へつながってしまったんじゃないかなって思ったりしてます。私も含め、大体の料理人は「自分がされてきたように厳しくすべきではあるが、今はそういう時代ではない」って考えてきているけど。この「すべきではあるが」が、そもそも、間違っているんじゃないかなって思うようになってます。私たちが絶対って思っていた教育の仕方は、圧倒的な数とパワーがあったからバランスが取れていたんじゃないでしょうか?

なぜ、私がそう思うようになったかというと、山本五十六の「やってみせ 言って聞かせ・・・」の言葉を何度も読んでるときでした。人を動かすためにはまずお手本を示し、説明して、させてみて、評価する。人を育てる為には、コミュニケーションをとり、意見を聞き入れ、任せてみる。人を実らせるためには、感謝と信頼があって初めてなしえる。経営者としてとても大切な在り方を説いていると思うのですが、山本五十六は誰のためにこの言葉を言ったのかなって想像してみました。きっと士官候補生など「リーダー」になる人へ「教育とは」の言葉を与えたんだろうなって想像します。

時代背景や文化、文明が今と昭和、大正、明治では違う中で、「教育の本質とは何か?」を見失っては、高度性成長期の特別な環境だからこそ成り立った昭和の「体育会系教育」の悪しき部分も引き継いでしまう。昭和の一時期、日本は特別な時間を過ごしたんだってことを認識して、もう一度人材育成の在り方、業界の体質改善に取り組まないと行けない、誇りある業界とするために教育の在り方から体質改善しないといかないと思います。子供が目を輝かせて将来の夢に「料理人」って言ってほしい、進路を考えるときに「ずっとなりたかった料理人になりたい」って言わせたいです。

 


山本五十六大将と村上信夫シェフと近頃の若者は(前編)  2017.11

経営者として教育(人材育成)について思うところあり今日は我が道ブログを更新しました。で、二人の偉大な日本人から感じたことを書きます。とりあえず、どんな人かWikipedia貼っときます。

山本五十六・・・日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。最終階級は元帥海軍大将。

村上信夫・・・日本のフランス料理のシェフ、元帝国ホテル顧問。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務める

 

私は前職(結婚式や宴会などを執り行う某労働会館)の時に夏のビアホールの企画を任せれて何年かスタッフ採用からトレーニングなどをしていたのですが、ある年に明らかにスタッフ募集の広告を出しても反応が少なくなっていることに気付きました。広告会社の人とお話をしてみると、「今飲食業界は特に人気がないですから…」と聞き、びっくりしました。その時初めてこの飲食業界の人材不足について考えるようになりました。そして独立開業する際、ひとつ私の理念として心に秘めていた想いを形にしました。それは、「この業界で独立することが魅力的であるという姿を見せる」ってこと、そして私が選んだその姿は、「楽しそうに仕事をしている」姿を示すことでした。日曜日は家族のために仕事しない。夜も仕事しない。つまりいわゆる普通のサラリーマンと同じ労働時間で仕事をするってことにチャレンジしようと考えたのです。憧れる姿にはいろいろあると思います。すごい儲かっている姿、何店舗も展開して社長として輝いてる姿など、どれもわたしは憧れるし今も目指している自分もいます。ただ、私がめざしたのは、営業形態と労働時間が公務員やいわゆる普通のサラリーマンとおなじでも、飲食店を開業できるって姿を示すことで、この業界に可能性を感じる人が増えれることが、きっと業界の未来を明るくする一つの材料になるはずだって、そんな使命をもって開業しました。今開業して6年目です。6年続けらてたのはひとつの結果ではありますがまだ過程ですからこれからずっとこのチャレンジは続けなければいけません。

で、今回の本題ですが、この業界の、というよりたくさんの業界がきっと抱えている問題として「人材不足」があると思います。間違いなく人口は減っているのですから当然ですが、人気のない業種や未来の無い業種はどんどん淘汰されてしますと思うと危機感を感じます。では、何ができるのか?その答えが、いま紹介した私の取り組みなのですが、それはひとつの小さな活動として意味があると思いますし、この活動を大きなうねりに変えることが大切だと信じているので続けるのですが、根本的な問題としてもうひとつ取り組むべきものが見えてきました。それが、スタッフ教育、人材育成の「在り方」です。私は1977年生まれで18歳からこの業界一筋です。転職はたくさんしてきましたが、飲食業界一筋です。業界の人はもちろんですが傍から見ても「料理人の世界は厳しい」とか「きつい」とか「縦社会だ」って印象はあると思います。実際そうだと思います。先輩は圧倒的に怖いし厳しい。ときに理不尽で暴(ピー)的。仕事は見て覚えろ!できないならやるな!帰れ!いらねえ!(笑)もうこんな感じなのは確かです。ちょっと前までは。いまは体罰はもちろんですが、罵声もあまりないと思います。いいか、悪いかの話はとりあえず置いといてそういった世界です。


踊る阿呆と村八分   2017.10

2017年10月1日(日)水吞の八幡さんの秋祭りが無事行われました。水吞CafeBoneuを開業した翌年の2012年から参加させていただいてるので今年で6年御輿を担がせていただいてます。福山市水呑町に住み始めたのはもう少し前だったのですが、お祭りの存在も知らなかったです。きっかけは、家を建ててくださった棟梁から「お店を始めたなら祭りには参加した方がいいよ」と声をかけてくれたのがきっかけ。今となれば、声をかけてくださったことにとにかく感謝ですが、その時はちょっと不安でした、お店も始めたばかりで不安定だったし、人見知りだし、なにより高校生の時からの腰痛もちで御輿を担ぐなんて不安でたまりませんでした、最初は腰痛を理由にお断りしていたのですが「担がなくてもいいから祭りには参加してみな」っていわれて、本祭の一週間前から始まる「御輿磨き」に参加しました。棟梁以外誰一人知っている人いなかったし、何より人見知りだからずっと無言でした(笑)でも前夜祭のさらに前日、神輿担ぎのポジション決めの時「鈴木君は背は何センチ?足は速い?」なんて質問が来て「えっ?いや、私は腰痛もちで御輿はちょっと、、、」なんてもごもご言ってたら60オーバーの先輩が「大丈夫大丈夫!おれなんて注射うって担ぐからワハハ」と笑い飛ばされ、背が高いことと、まあ若くて元気そうだからと「大振り」と呼ばれるポジションに配置となってしまいました(まじか~~やばいけどもうやるしかないな、、、)と腹をくくり本祭の喧嘩御輿に臨みました。人生で忘れられない最高に楽しい一日でした。自分にこんな感情があるとは気づいてなかった!とにかくエキサイティングで熱い!夢中で御輿にしがみつくように走りました。祭りが終わって、もう立ち上がれないくらい全力を出しきる感覚最高でした。

私の両親は青森県の出身で私は埼玉県の出身。両親の故郷青森にはあの有名な「ねぶた祭」があります。テレビで見る観光用のものからそれぞれの地域でも「ねぶた祭り」は行われていて、父の故郷川部でも母の故郷木造りでも「ねぶた祭り」はありました。私は小学生の夏休みにずっと青森で過ごしたりしたこともあるので当然ねぶた祭りは近くで見たこともあったのですが、「特にどうということもなく、、、」興奮することもなかったし、面白いとも思わなかった。両親はやっぱり「祭りのおはやしが聞こえてくると興奮する」って言っていたので、なるほど、生まれた時から祭りで育った人とそうでない人では親子でも違うもんだな、、なんて冷めてました。だから、水吞の喧嘩御輿に興奮する自分が意外でした。以外であると同時にうれしかった、「あぁ俺にもこんな感情があったんだな」ってうれしかった。

 そうやって祭りに参加させていただいた一年目。終わってからはもう来年が楽しみだったし、祭りの話ばっかりしてた(笑)「なんで地元の若い人はもっと参加しないのだろう??」そんな疑問が湧いてきて、今に至ります。

で、そろそろ本題「踊る阿呆と村八分」。この「踊る阿呆と村八分」はこんな意味で今回使ってみました、それは「自由と責任」です。

 

自由と責任はセットだと思うのですが、時代の流れや立場もありますからそのバランス感覚はとても重要だと思います。

 

祭りに参加してすぐの頃「なんでみんなこんな楽しい祭りに参加しないのだろう??」っておもいました。で、そもそも知らないし関心も少ないから情報も入らないんだろうなっておもい、なんとか「御輿の魅力をつたえて担ぎ手を増やし、この素敵な祭りをずっと繋げていかなきゃ」そんな考えでいました。とはいえ、何ができるかって言ってもあまりわからずに1年また1年と年は過ぎ今に至ります。基本的にはその考えは変わらないのだけど、だけれども今年はちょっと違う考えになってきました。それは、「ひとそれぞれ役割がある」って思いが強くなり、そしてみんなその役割のために生きているって思いになってみて、改めて御輿を担ぐってことについても考え直してみました。御輿を担ぐ人、準備する人、応援する人、寄付する人、そして、かかわらない人。この関わらない人にも、もちろん役割があって楽しんで生きている。逆に言えば御輿を担ぐことに楽しさを感じる人って少ないんじゃないんじゃないかな?て(笑)そう考えたら、今とにかく私は御輿を担ぎたいし祭りが大好きなら、もうそれでいいやって。だれかにこの楽しさを伝えなきゃとか、この祭りを途絶えさせたらいかないとか、もうそんなことどうでもいいや。そう思えるようになってきました。自由なんです。踊るのも見るのも見ないのも。自由なんです。そうやって楽しいことはつながってきて、楽しくないことは淘汰される。ただそれだけだなって思うようになりました。

で、自由と責任

責任と村八分

今この自由って言葉の持つ意味で厄介なのが、自己中心的な自由。まぁ自由って自己中心的なんだと思うのだけど(笑)。社会で生きているわけだし、その恩恵を受けているのだから、社会に貢献しなければいけない。その貢献の仕方こそ自由だと思うし、それぞれの使命があると思う。バランスとして難しいのはその自由はどう社会貢献なのか?今の時代にマッチしているのか?未来への革新だとしたらそれは社会にっとって進歩と言えるのか?「社会」って答えのあるものでもないだろうからその判定は人が決めるから間違うこともあるかもしれないし、いや、そもそも人が決めたのだからそれが答えだし。そんな、「自由」な行動には「責任」という社会に対しての審判は下されるのは当然で、やっちゃいけないことしたら怒られるし、怒ってもだめなら究極の制裁「無視」される。村八分。村八分っていい言葉なイメージないし、まぁいいことじゃないと思うけど。「自由な社会を作る」ためにだからこそ、いま必要だと思う。言葉って難しい「自由」「責任」の意味のとらえ方によってこの「自由には責任が伴う」って言葉も意味をなさなくなる。自然の中はもちろんだけど社会の中で私たちは生かされてるし、だれにも迷惑をかけずに生きることもできない。自由っていうのは

「自分の使命に気付く為」にある言葉であるとわたしはおもいます。

 

社会貢献しているという信念があればもしかしたら村八分にされても信念を曲げずに貫けるのかもしれない。そんな強靭な精神の人が時代を作るのかもしれない。だとすれば、とんでもない行動をする人がいたとしても、まずその人の想い(信念)を聞いてみる必要があるな。きっと。


「7年ぶりだから感じること」 2017・9

鞆の浦には祭りがとにかくたくさんある。準備期間なんて入れたら毎日祭り!みたいにある(笑)。チョーサイと呼ばれる秋祭りに先日行ってみた。チョーサイは鞆の浦の中の7町が毎年持ち回りで担当するので、それぞれの町は7年に一度やってくる。当番町の年ともなれば、人が集まり、準備を重ね、呑んで呑んで本番を迎えるのだと思う(笑)。今年は石井町。南部会の最年少でありリーダーのチェック社長ことサンモルトの社長小川さんの住む町が石井町。毎月第4日曜日に集まる南部会を今回は一週間繰り上げて、小川邸にお呼ばれしていただく形で開かれた。

 「7年に一度の祭り」毎年行われるチョーサイも各町にとっては7年に一度のお祭り。そりゃあ気合の入れ方が違う 何年かぶりに里帰りする若者や、普段仕事でなかなか地域の集まりなどにも参加できない人も 7年ぶりともなるとやっぱり集まる。7年ぶりだから何とかしてくる。
石井町の小川邸におよばれし ご馳走とお酒をいただきながら、南部会のメンバーの衣笠さんと話しているとき、ふと 「7年ぶりだから感じること」があった。それは「今を生きる」ってこと。毎日の楽しみ、一週間の休みの楽しみ、一年に一度の楽しみ、イベントや行事の楽しみ、、、明日の、または来年までの楽しみってあると思う。私にとっては毎日の晩酌、週末のお休み、年に一度の水吞の秋祭りの神輿、お正月や子供の行事、、、次のその時のことを思って楽しみにしている。でもチョーサイは7年に一度。7年だから次が簡単に来ない。衣笠さんが言っていたのは、「7年に一度だから、親が元気かもわからないし、子供が大きくなったら今のように一緒にいて、楽しんでるとも限らない、だからその時できるだけ楽しむんだと思う」みたいなことを言っていて、あ~~なるほどな~と とても考えさせられました。「明日死ぬと思って生きる」とか「今日を精一杯後悔の無い様に生きる」とか、頭ではわかるし そうやって精いっぱい全力で毎日を駆け抜けたい想いはあるけど、実際は明日のために6pカマンベールチーズ半分残したり、やりかけの仕事明日に先延ばししたりする。にんげんだもの

 今が当たり前じゃないとか 明日は当たり前にみんなに来ないとかわかっていても本気でわかってない。解れない。にんげんだもの 

7年ぶりのチョーサイはきっと何かそんな当たり前だけどなかなか気づけないことに気付かせてもらえるんじゃないかな??「今を生きる」全力で。 祭りってものに何の意味があるかはわからないけど、私はチョーサイからそんなことを感じました。


「Boneuって名前」 2017・8

フェイスブックを始めたのは確か2011年の2月くらいだったと思う。まだ水吞CafeBoneu(ミノミカフェボヌー)を開業する前で具体的に独立も決めていなかったとき。その後独立起業を決断して今に至るのだけどそのきっかけはプロフィールで書いているので置いといて、、。決断するときにいろいろ迷いや不安もあったのだけど、自信も、もちろんあった。その中でひとつ「今がチャンス」って思えたのはフェイスブックの存在。SNS。フェイスブックは基本実名顔写真付きってのがあったから、それまでのツイッターやミクシーなどとは全く違った世界観になるって思ってたし実際やってみてそうだった。ネットがリアルになる時代が来るって思ったとき、「独立するなら今だっ!」って思った。だって、時代が変わるって思ったから、2017年の今、現在進行形でどんどん変化しているし思った通りになってる。SNSによって価値観がナチュラルになっていっている。多様な価値観が情報としてあふれ出て、「普通はこう」って感覚がなくなってきてる。そしてこれからは、、、は、まあ置いとして。はなしは「名前」について。フェイスブックを始めたときのアカウント名は「鈴木大孝(スズキトモノリ)」でしてました。当然本名で。だけどある時2015年末くらいかな、一度フェイスブックをやめて、、少しして再開したときにはアカウント名は「Suzuki Boneu」としました。実名がフェイスブックのルールなのでどうかなとも思いましたが、Boneuって名前が人生の一部であるって思いからもうこれで行こうって。Boneuって言葉は2008年には出来ていて、ロゴマークも2008って数字を入れてる。なので
2008年 Boneuスタート

2011年 水吞CafeBoneu開業

 って年表になります。「Boneuってどんな意味??」とよく質問されます。「特に意味はないんですよ~」なんて答えながらも「フランス語に似たようなスペルでポジティブな意味の言葉がいくつかあるので、それで作った造語です」って答えてます。ないところから作って行くって感じも自分に合ってる気がしてたし。でも流石に最近は知り合いにBoneuってどんな意味?って質問されることなくなった。もう意味とかそんなんじゃなくBoneuといえばBoneuって認知されたんだなって感じます。私は「鈴木さん」とか「ともくん」とか呼ばれてるんだけど「ボヌーさん」とも呼ばれます。屋号で呼ばれるってのはうれしいもんです。Boneuって名前 気に入ってます。