今を歩む Suzuki Boneuの「我が道ブログ」


山本五十六大将と村上信夫シェフと近頃の若者は(後編)  2017.11

そんな業界ですが、私は好きで続けてきましたし今この業界で活躍している人も、もれなく好きで好きでたまらないんだと思います。わたしは、山本五十六の「やってみせ 言って聞かせ させてみせ ほめてあらねば 人は動かじ。 話し合い 耳を傾け承認し 任せてやらねば 人は育たず。 やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず。」ってことばが好きで仕事場のパソコンの前に貼ってます。この言葉を何とか自分に落とし込みたくて(つまりできなてない)貼ってます。

村上信夫シェフのエピソードとして若いころ鍋磨きをしていた時、ソースの味を教えないために先輩が鍋に塩をふってから洗い物に出すから味を覚えることが出来なかったが、3年間ひたす鍋をピカピカに磨き、認められ、ソースの残った鍋を洗い物に出してくれるようになり味を思え、、、って有名な話があります。きっとこの時代はどんな仕事もそんなふうだったんじゃないかなって思います。私の父親は機械関係の仕事をしてて鉄の職人ですが厳しい世界だったんだろうなって感じますし、テレビや書物とか見てもこの時代は厳しかったんだろうなって思います。

高度経済成長の時代をつくった団塊の世代のころってつまり、人口が増えて経済も発展しどんどん豊かになっていった時代。団塊の世代が集団就職で働き口を求めて都市に集まる。日本はまだまだ成長の途上。失業者もたくさんいただろうし会社はできてはつぶれてとそんな時代。

この時代の人材育成ってどうだったのだろう?一人しか雇えない会社に二人三人と働きに来る、採用からされない人もいれば1/2の給料で二人雇うとかもあったかも。つまり、少ない仕事にたくさんの人が群がっているとしたら、経営者は「振るい」にかけると思う、やる気のない人、不器用な人、身体の弱い人、いや、、、というよりその職業、会社に向かない人は残れない、くらい競争が激しかった時代だったのじゃないかな??団塊の世代の若者が押し寄せる中、会社も従業員もより厳しく、そして必死に働いて、日本の経済成長を成し遂げた。

私は団塊ジュニア世代の終わりころ。高校卒業したころにはいわゆる「バブル経済」は、はじけ就職氷河期と呼ばれて何年かたってました。

私が今回「経営者として教育(人材育成)について」考えるのは、この大東亜戦争後の経済成長からバブルがはじけたまでの職場での教育(人材育成)が特殊な時期だったんじゃないかってこと。団塊の世代の圧倒的な数のパワーと経済成長によって教育(人材育成)が、ある部分は研ぎ澄まされ、またある部分は荒削りに人を育てていたんじゃないかな、、。そして今。働く人間は少なく、各業種で取り合いをしている中で飲食業界は長く「昭和」な「体育会系」教育方針でやってきた「つけ」がいま、業界の不人気へつながってしまったんじゃないかなって思ったりしてます。私も含め、大体の料理人は「自分がされてきたように厳しくすべきではあるが、今はそういう時代ではない」って考えてきているけど。この「すべきではあるが」が、そもそも、間違っているんじゃないかなって思うようになってます。私たちが絶対って思っていた教育の仕方は、圧倒的な数とパワーがあったからバランスが取れていたんじゃないでしょうか?

なぜ、私がそう思うようになったかというと、山本五十六の「やってみせ 言って聞かせ・・・」の言葉を何度も読んでるときでした。人を動かすためにはまずお手本を示し、説明して、させてみて、評価する。人を育てる為には、コミュニケーションをとり、意見を聞き入れ、任せてみる。人を実らせるためには、感謝と信頼があって初めてなしえる。経営者としてとても大切な在り方を説いていると思うのですが、山本五十六は誰のためにこの言葉を言ったのかなって想像してみました。きっと士官候補生など「リーダー」になる人へ「教育とは」の言葉を与えたんだろうなって想像します。

時代背景や文化、文明が今と昭和、大正、明治では違う中で、「教育の本質とは何か?」を見失っては、高度性成長期の特別な環境だからこそ成り立った昭和の「体育会系教育」の悪しき部分も引き継いでしまう。昭和の一時期、日本は特別な時間を過ごしたんだってことを認識して、もう一度人材育成の在り方、業界の体質改善に取り組まないと行けない、誇りある業界とするために教育の在り方から体質改善しないといかないと思います。子供が目を輝かせて将来の夢に「料理人」って言ってほしい、進路を考えるときに「ずっとなりたかった料理人になりたい」って言わせたいです。

 


山本五十六大将と村上信夫シェフと近頃の若者は(前編)  2017.11

経営者として教育(人材育成)について思うところあり今日は我が道ブログを更新しました。で、二人の偉大な日本人から感じたことを書きます。とりあえず、どんな人かWikipedia貼っときます。

山本五十六・・・日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。最終階級は元帥海軍大将。

村上信夫・・・日本のフランス料理のシェフ、元帝国ホテル顧問。日本でフランス料理を広めた功労者。帝国ホテルの料理長を26年間務める

 

私は前職(結婚式や宴会などを執り行う某労働会館)の時に夏のビアホールの企画を任せれて何年かスタッフ採用からトレーニングなどをしていたのですが、ある年に明らかにスタッフ募集の広告を出しても反応が少なくなっていることに気付きました。広告会社の人とお話をしてみると、「今飲食業界は特に人気がないですから…」と聞き、びっくりしました。その時初めてこの飲食業界の人材不足について考えるようになりました。そして独立開業する際、ひとつ私の理念として心に秘めていた想いを形にしました。それは、「この業界で独立することが魅力的であるという姿を見せる」ってこと、そして私が選んだその姿は、「楽しそうに仕事をしている」姿を示すことでした。日曜日は家族のために仕事しない。夜も仕事しない。つまりいわゆる普通のサラリーマンと同じ労働時間で仕事をするってことにチャレンジしようと考えたのです。憧れる姿にはいろいろあると思います。すごい儲かっている姿、何店舗も展開して社長として輝いてる姿など、どれもわたしは憧れるし今も目指している自分もいます。ただ、私がめざしたのは、営業形態と労働時間が公務員やいわゆる普通のサラリーマンとおなじでも、飲食店を開業できるって姿を示すことで、この業界に可能性を感じる人が増えれることが、きっと業界の未来を明るくする一つの材料になるはずだって、そんな使命をもって開業しました。今開業して6年目です。6年続けらてたのはひとつの結果ではありますがまだ過程ですからこれからずっとこのチャレンジは続けなければいけません。

で、今回の本題ですが、この業界の、というよりたくさんの業界がきっと抱えている問題として「人材不足」があると思います。間違いなく人口は減っているのですから当然ですが、人気のない業種や未来の無い業種はどんどん淘汰されてしますと思うと危機感を感じます。では、何ができるのか?その答えが、いま紹介した私の取り組みなのですが、それはひとつの小さな活動として意味があると思いますし、この活動を大きなうねりに変えることが大切だと信じているので続けるのですが、根本的な問題としてもうひとつ取り組むべきものが見えてきました。それが、スタッフ教育、人材育成の「在り方」です。私は1977年生まれで18歳からこの業界一筋です。転職はたくさんしてきましたが、飲食業界一筋です。業界の人はもちろんですが傍から見ても「料理人の世界は厳しい」とか「きつい」とか「縦社会だ」って印象はあると思います。実際そうだと思います。先輩は圧倒的に怖いし厳しい。ときに理不尽で暴(ピー)的。仕事は見て覚えろ!できないならやるな!帰れ!いらねえ!(笑)もうこんな感じなのは確かです。ちょっと前までは。いまは体罰はもちろんですが、罵声もあまりないと思います。いいか、悪いかの話はとりあえず置いといてそういった世界です。


踊る阿呆と村八分   2017.10

2017年10月1日(日)水吞の八幡さんの秋祭りが無事行われました。水吞CafeBoneuを開業した翌年の2012年から参加させていただいてるので今年で6年御輿を担がせていただいてます。福山市水呑町に住み始めたのはもう少し前だったのですが、お祭りの存在も知らなかったです。きっかけは、家を建ててくださった棟梁から「お店を始めたなら祭りには参加した方がいいよ」と声をかけてくれたのがきっかけ。今となれば、声をかけてくださったことにとにかく感謝ですが、その時はちょっと不安でした、お店も始めたばかりで不安定だったし、人見知りだし、なにより高校生の時からの腰痛もちで御輿を担ぐなんて不安でたまりませんでした、最初は腰痛を理由にお断りしていたのですが「担がなくてもいいから祭りには参加してみな」っていわれて、本祭の一週間前から始まる「御輿磨き」に参加しました。棟梁以外誰一人知っている人いなかったし、何より人見知りだからずっと無言でした(笑)でも前夜祭のさらに前日、神輿担ぎのポジション決めの時「鈴木君は背は何センチ?足は速い?」なんて質問が来て「えっ?いや、私は腰痛もちで御輿はちょっと、、、」なんてもごもご言ってたら60オーバーの先輩が「大丈夫大丈夫!おれなんて注射うって担ぐからワハハ」と笑い飛ばされ、背が高いことと、まあ若くて元気そうだからと「大振り」と呼ばれるポジションに配置となってしまいました(まじか~~やばいけどもうやるしかないな、、、)と腹をくくり本祭の喧嘩御輿に臨みました。人生で忘れられない最高に楽しい一日でした。自分にこんな感情があるとは気づいてなかった!とにかくエキサイティングで熱い!夢中で御輿にしがみつくように走りました。祭りが終わって、もう立ち上がれないくらい全力を出しきる感覚最高でした。

私の両親は青森県の出身で私は埼玉県の出身。両親の故郷青森にはあの有名な「ねぶた祭」があります。テレビで見る観光用のものからそれぞれの地域でも「ねぶた祭り」は行われていて、父の故郷川部でも母の故郷木造りでも「ねぶた祭り」はありました。私は小学生の夏休みにずっと青森で過ごしたりしたこともあるので当然ねぶた祭りは近くで見たこともあったのですが、「特にどうということもなく、、、」興奮することもなかったし、面白いとも思わなかった。両親はやっぱり「祭りのおはやしが聞こえてくると興奮する」って言っていたので、なるほど、生まれた時から祭りで育った人とそうでない人では親子でも違うもんだな、、なんて冷めてました。だから、水吞の喧嘩御輿に興奮する自分が意外でした。以外であると同時にうれしかった、「あぁ俺にもこんな感情があったんだな」ってうれしかった。

 そうやって祭りに参加させていただいた一年目。終わってからはもう来年が楽しみだったし、祭りの話ばっかりしてた(笑)「なんで地元の若い人はもっと参加しないのだろう??」そんな疑問が湧いてきて、今に至ります。

で、そろそろ本題「踊る阿呆と村八分」。この「踊る阿呆と村八分」はこんな意味で今回使ってみました、それは「自由と責任」です。

 

自由と責任はセットだと思うのですが、時代の流れや立場もありますからそのバランス感覚はとても重要だと思います。

 

祭りに参加してすぐの頃「なんでみんなこんな楽しい祭りに参加しないのだろう??」っておもいました。で、そもそも知らないし関心も少ないから情報も入らないんだろうなっておもい、なんとか「御輿の魅力をつたえて担ぎ手を増やし、この素敵な祭りをずっと繋げていかなきゃ」そんな考えでいました。とはいえ、何ができるかって言ってもあまりわからずに1年また1年と年は過ぎ今に至ります。基本的にはその考えは変わらないのだけど、だけれども今年はちょっと違う考えになってきました。それは、「ひとそれぞれ役割がある」って思いが強くなり、そしてみんなその役割のために生きているって思いになってみて、改めて御輿を担ぐってことについても考え直してみました。御輿を担ぐ人、準備する人、応援する人、寄付する人、そして、かかわらない人。この関わらない人にも、もちろん役割があって楽しんで生きている。逆に言えば御輿を担ぐことに楽しさを感じる人って少ないんじゃないんじゃないかな?て(笑)そう考えたら、今とにかく私は御輿を担ぎたいし祭りが大好きなら、もうそれでいいやって。だれかにこの楽しさを伝えなきゃとか、この祭りを途絶えさせたらいかないとか、もうそんなことどうでもいいや。そう思えるようになってきました。自由なんです。踊るのも見るのも見ないのも。自由なんです。そうやって楽しいことはつながってきて、楽しくないことは淘汰される。ただそれだけだなって思うようになりました。

で、自由と責任

責任と村八分

今この自由って言葉の持つ意味で厄介なのが、自己中心的な自由。まぁ自由って自己中心的なんだと思うのだけど(笑)。社会で生きているわけだし、その恩恵を受けているのだから、社会に貢献しなければいけない。その貢献の仕方こそ自由だと思うし、それぞれの使命があると思う。バランスとして難しいのはその自由はどう社会貢献なのか?今の時代にマッチしているのか?未来への革新だとしたらそれは社会にっとって進歩と言えるのか?「社会」って答えのあるものでもないだろうからその判定は人が決めるから間違うこともあるかもしれないし、いや、そもそも人が決めたのだからそれが答えだし。そんな、「自由」な行動には「責任」という社会に対しての審判は下されるのは当然で、やっちゃいけないことしたら怒られるし、怒ってもだめなら究極の制裁「無視」される。村八分。村八分っていい言葉なイメージないし、まぁいいことじゃないと思うけど。「自由な社会を作る」ためにだからこそ、いま必要だと思う。言葉って難しい「自由」「責任」の意味のとらえ方によってこの「自由には責任が伴う」って言葉も意味をなさなくなる。自然の中はもちろんだけど社会の中で私たちは生かされてるし、だれにも迷惑をかけずに生きることもできない。自由っていうのは

「自分の使命に気付く為」にある言葉であるとわたしはおもいます。

 

社会貢献しているという信念があればもしかしたら村八分にされても信念を曲げずに貫けるのかもしれない。そんな強靭な精神の人が時代を作るのかもしれない。だとすれば、とんでもない行動をする人がいたとしても、まずその人の想い(信念)を聞いてみる必要があるな。きっと。


「7年ぶりだから感じること」 2017・9

鞆の浦には祭りがとにかくたくさんある。準備期間なんて入れたら毎日祭り!みたいにある(笑)。チョーサイと呼ばれる秋祭りに先日行ってみた。チョーサイは鞆の浦の中の7町が毎年持ち回りで担当するので、それぞれの町は7年に一度やってくる。当番町の年ともなれば、人が集まり、準備を重ね、呑んで呑んで本番を迎えるのだと思う(笑)。今年は石井町。南部会の最年少でありリーダーのチェック社長ことサンモルトの社長小川さんの住む町が石井町。毎月第4日曜日に集まる南部会を今回は一週間繰り上げて、小川邸にお呼ばれしていただく形で開かれた。

 「7年に一度の祭り」毎年行われるチョーサイも各町にとっては7年に一度のお祭り。そりゃあ気合の入れ方が違う 何年かぶりに里帰りする若者や、普段仕事でなかなか地域の集まりなどにも参加できない人も 7年ぶりともなるとやっぱり集まる。7年ぶりだから何とかしてくる。
石井町の小川邸におよばれし ご馳走とお酒をいただきながら、南部会のメンバーの衣笠さんと話しているとき、ふと 「7年ぶりだから感じること」があった。それは「今を生きる」ってこと。毎日の楽しみ、一週間の休みの楽しみ、一年に一度の楽しみ、イベントや行事の楽しみ、、、明日の、または来年までの楽しみってあると思う。私にとっては毎日の晩酌、週末のお休み、年に一度の水吞の秋祭りの神輿、お正月や子供の行事、、、次のその時のことを思って楽しみにしている。でもチョーサイは7年に一度。7年だから次が簡単に来ない。衣笠さんが言っていたのは、「7年に一度だから、親が元気かもわからないし、子供が大きくなったら今のように一緒にいて、楽しんでるとも限らない、だからその時できるだけ楽しむんだと思う」みたいなことを言っていて、あ~~なるほどな~と とても考えさせられました。「明日死ぬと思って生きる」とか「今日を精一杯後悔の無い様に生きる」とか、頭ではわかるし そうやって精いっぱい全力で毎日を駆け抜けたい想いはあるけど、実際は明日のために6pカマンベールチーズ半分残したり、やりかけの仕事明日に先延ばししたりする。にんげんだもの

 今が当たり前じゃないとか 明日は当たり前にみんなに来ないとかわかっていても本気でわかってない。解れない。にんげんだもの 

7年ぶりのチョーサイはきっと何かそんな当たり前だけどなかなか気づけないことに気付かせてもらえるんじゃないかな??「今を生きる」全力で。 祭りってものに何の意味があるかはわからないけど、私はチョーサイからそんなことを感じました。


「Boneuって名前」 2017・8

フェイスブックを始めたのは確か2011年の2月くらいだったと思う。まだ水吞CafeBoneu(ミノミカフェボヌー)を開業する前で具体的に独立も決めていなかったとき。その後独立起業を決断して今に至るのだけどそのきっかけはプロフィールで書いているので置いといて、、。決断するときにいろいろ迷いや不安もあったのだけど、自信も、もちろんあった。その中でひとつ「今がチャンス」って思えたのはフェイスブックの存在。SNS。フェイスブックは基本実名顔写真付きってのがあったから、それまでのツイッターやミクシーなどとは全く違った世界観になるって思ってたし実際やってみてそうだった。ネットがリアルになる時代が来るって思ったとき、「独立するなら今だっ!」って思った。だって、時代が変わるって思ったから、2017年の今、現在進行形でどんどん変化しているし思った通りになってる。SNSによって価値観がナチュラルになっていっている。多様な価値観が情報としてあふれ出て、「普通はこう」って感覚がなくなってきてる。そしてこれからは、、、は、まあ置いとして。はなしは「名前」について。フェイスブックを始めたときのアカウント名は「鈴木大孝(スズキトモノリ)」でしてました。当然本名で。だけどある時2015年末くらいかな、一度フェイスブックをやめて、、少しして再開したときにはアカウント名は「Suzuki Boneu」としました。実名がフェイスブックのルールなのでどうかなとも思いましたが、Boneuって名前が人生の一部であるって思いからもうこれで行こうって。Boneuって言葉は2008年には出来ていて、ロゴマークも2008って数字を入れてる。なので
2008年 Boneuスタート

2011年 水吞CafeBoneu開業

 って年表になります。「Boneuってどんな意味??」とよく質問されます。「特に意味はないんですよ~」なんて答えながらも「フランス語に似たようなスペルでポジティブな意味の言葉がいくつかあるので、それで作った造語です」って答えてます。ないところから作って行くって感じも自分に合ってる気がしてたし。でも流石に最近は知り合いにBoneuってどんな意味?って質問されることなくなった。もう意味とかそんなんじゃなくBoneuといえばBoneuって認知されたんだなって感じます。私は「鈴木さん」とか「ともくん」とか呼ばれてるんだけど「ボヌーさん」とも呼ばれます。屋号で呼ばれるってのはうれしいもんです。Boneuって名前 気に入ってます。

水呑Cafe Boneu

〒720-0832 広島県福山市水呑町4727-1

TEL : 084-956-1939

営業時間:11:00-18:00 (LO:17:00)
テイクアウト:11:00〜18:00 (LO:17:00)

定休日:毎週日曜日、第2・第4月曜日