随分久しぶりの更新となり、プロフィールおかわりのテンションを忘れてしまったので、とりあえず箸休めとさせていただきます。筆休めっていうのかな?まあいいでしょう。ロイヤルホストのくだりも飽きてきたけど、まだもう少しロイヤルホスト編は続けたいので、いったん話を変えまして。
今、2016年夏のお話を。
いま鞆の浦では**「鞆の浦ちりめんグルメプロジェクト」**と題して、飲食店11店舗が鞆の浦の新名物「ちりめん(しらす)」の商品を期間限定で提案しています。水呑町で飲食店をしている私(Boneu)も月一回の「潮待ち・とも軽トラ市」に出店しているので、このプロジェクトに混ぜてもらっています。いや、実はこのプロジェクト自体に発案から深く関わっているのです。今回はその説明を兼ねて、私がなぜ「ちりめん」を鞆の浦の名物料理・特産品にしようとしているかということを、壮大なストーリーとともに(笑)、長々とご紹介したいと思います。
埼玉県入間市牛沢町に生まれ、18歳から28歳までは東京で仕事をして、28歳から福山に暮らし始めて10年。魚が大好きだけど海のない町で生まれて、いま鞆の浦のそばに住み、感じることは。「住みたい場所に住んでいる」という実感です。そしてマイホームを購入し、飲食店舗を構え、子育てを始めて思ったことは、**「自分が住み・働き・子育てをする我が町に誇りを持ちたい」**ということでした。それはまず「知る」ということだと思っています。住む町の歴史・文化、それに今行われている行事や祭り。とにかく知りたいし、関わっていくことが「知る」ことの唯一の近道だと思っています。
そんなことを感じながら、お店(Boneu)でふと気づいたのが、「福山南部」の地域性です。鞆の浦・沼隈・田尻・水呑。芦田川を挟んで海に面した半島、「沼隈半島」。ここの地域は福山の南部に位置し、芦田川という大きな一級河川によって中心部とは隔てられています。橋などが少なかった昔は当然行き来には苦労したでしょうから、文化も自然と分かれて発展していったのだと思います。
私が水呑町にお店を出すことを決めたときには、周りの知り合いや前職場の上司などから反対されました。「なぜ水呑?あそこは遠すぎる。商売は難しい」と、たくさんの意見をいただきました。私はここに書いたように福山生まれではありません。2006年ごろからの新参者でしたので、確かに土地勘とか地域性は分かりませんでした。でも、水呑町には大きな吊り橋が新しく出来ていて、交通の面でも不便さは全く感じなかったし、駅までのバスも通っていて立地が悪いとは思わなかったのです。
逆に「橋ができる前の感覚が地元の人にはあって、その先入観が水呑町の商業的な価値を下げている」と思ったので、その先入観なしで土地の評価を見れる私には**“チャンス”がある**と思っていました。ある意味では間違っていなかったと思います。橋ができる前と後での交通の便は確かに激変しているし、今水呑に来るのに、街中や高速道路(福山東インター)からの道路にはストレスは感じません。
でも、私が見誤ったのは先入観ではなく、文化圏の違いがそう簡単には変わらないことでした。「水呑は遠い町だ。」「水呑は」という別の町という印象ははっきりと残っています。もちろん福山のそれぞれの町にはそれぞれの人が住んでいて、その町その町の文化がある。福山市と広島市ではやはり違うし、日本と中国も違う。個人や国家に違いがあるように、集落によって違いがある。その分け方としての話として、Boneuをやっていて感じたのが福山南部というコミュニティーです。沼隈半島の仲間意識とまではいかなくても、共通の感覚みたいなものがあるなと、商売を通じて(起業して2年目あたりに)感じたのです。
その発見は私を大きく変え、自分の方向性や夢まで変えました。それまでも「鞆の浦の名物料理を作りたい」とか「地域の行事などには積極的に参加する」とは思っていたけれど、それはぼんやりとした感じで思っていたし、他にも「備後」という括りで考えてみたり「瀬戸内」という括りで商品開発したりしていました。方向性を模索していた感じだったのですが、「福山南部」という考えにはっきりと自分の、そしてBoneuの目指す未来がある、とそう思えて、それまで中途半端に関わっていたイベントや取り組みはすっぱり辞め、視点というか考え方をすべて**「福山南部として」**という思考に切り替えたんです。
その最初の行動として、仲間と立ち上げたのが**「福山南部の未来を創る会」、通称「南部会」**です。この会の趣旨は「福山を南部から盛り上げ、世界に向けて発信し、地方再生の成功モデルを確立する」と掲げています。入会要件にも「一つ、福山南部に対して誰にも負けない”熱量”があること 一つ、利他的であること 一つ、レジェンドになる覚悟があること」としています。レジェンドって(笑)。でも、本気なんです。会は毎月一回の開催で、「潮待ち・とも軽トラ市」のある第四日曜日の夜にしています。
実際、内容自体はただの飲み会なんです(笑)。発足の最初から何となしに決めていたのは「この会で何かをしたり決めたりするのではなく、福山南部に対しての想いの熱量が多い人が毎月集まることに意味がある」ということでしたので、議題とか、議案なんてものは当然なくって、「うちの奥さんこんなんだけどどう思う?」みたいな話から始まったりする。でも、自然と地域のこと、今の時代についてみたいな話になります。でも、そこで「じゃあこれみんなでやろう」とはならない。もちろん、お互いの仕事の関係で協力したり依頼したりというのは当然ありますが、基本的にはなりません。これも南部会の暗黙のルールではないですが、「それぞれがそれぞれに考え活動する」という思いがある。それは一つの点となり、その点を大きくするのはやっぱりその人(会社)の役目。そうやってそれぞれがそれぞれの使命を全うする中で、その先に線としてつながるかもしれないし、それが面となって大きなうねりを起こすかもしれない。
さらにこれは私の考えですが、誰かと誰かの点が線でつながり面になるのは、あくまで現象だと思うんです。期待や願望であってはならない。それぞれに福山南部に対して目指すものはあると思ってます。それは、それぞれ目的も手段も違う。それぞれの目的や夢は誰かにすがったり頼ったりできるものじゃない。自分で見つけ、行動し、叶える。それが自立した人間だと思うから。入会要件にある「レジェンドになる覚悟があること」って、ちょっとふざけているようだけど、とても重要なキーワードだと思っています。「誰が最初に情熱大陸に出るか?」とか、ふざけて言ったりしているのですが、ある意味ライバルというか、レジェンドになる競争をしているのです。まあ、とにかく住む町を本気で考える仲間の集まりです。
私は飲食店を経営し“食”にずっと携わってきましたから、ものを考えたり作ったりするのも“食”からアプローチするのが自然だし、一番の力を発揮できると思ってます。「福山南部」という視点で考えたとき、やはり思うのは「鞆の浦」です。住む町として、観光地として、考えなければいけないことや問題点はたくさんあるけれど、観光地という視点で見たならば「名物料理・特産物」は必要だと思っています。実はそれはBoneuをオープンした当初からずっと思ってきたことで、何がいいか考えていました。
お店をオープンした一年目から「鞆の浦フェア」と題してタコを使ってみたり、海老を使ってみたり、色々試しながら模索していました。鞆の浦には「保命酒」「鯛」といった特産品は既にあります。もちろんそれは素晴らしいし、これからも残し発展させていきたいものだけど、私はやっぱり観光地として誰もが思い浮かぶ**「名物料理」**が欲しいと思うんです。例えばフランスのモン・サン・ミッシェルといえばオムレツみたいな。鞆の浦に行ったら絶対あれ食べたい、とか、あれが食べたいから鞆の浦に行こうかって、「名物料理」がないといけないと思うんです。県外・海外の人が「食」を目ざして鞆の浦に訪れる。そんな名物料理を作ることが私の夢の一つです。
そんなことを考え模索し、メニュー提案でチャレンジしていたのですが、2015年秋。○藻珍味の○村さんからアイデアと提案を同時にいただいたのです。それが**「ちりめん」**でした。ちりめんとはいわゆる「しらす」を干物にしたもの。「生しらす」⇒「釜揚げしらす」⇒「ちりめんじゃこ」というわけです。鞆港から船で近くの走島。この走島では「ちりめん漁」が盛んで、良質のちりめん(しらす)が水揚げされているのですが、その多くは淡路島に水揚げされ、そのまま送られています。淡路島は全国でも有数のちりめん(しらす)の産地。この事実は誇らしいことですが、せっかく地元で上がったお魚ですから、地元でもそのおいしさを楽しみたいし、特産品として、そして「名物料理」として提案したい。「ちりめん」というキーワードをもらった瞬間、それまで色々模索していたこともあり「これだ!!」ともう確信しました!
その流れでできたのが**「鞆SOBA」**です。パスタ用の生麺にちりめんを合わせた新感覚ラーメン。Boneuの店内では「鞆SOBA RED」(海老だしにクリームを合わせたスープスタイル)、潮待ち・とも軽トラ市では「鞆SOBA BLACK」(黒胡麻と焦がしニンニクのペーストを使った混ぜそばスタイル)などを提案しています。
その鞆そばを潮待ち・とも軽トラ市で販売している際に、「何かちりめんを感じるグッズか衣装がほしいな?」と思い、色々考えた末「Tシャツを着よう」と思い立ち、そこからさらに浮かんだアイデアが、「鞆の浦のお魚の絵がプリントされているTシャツにしよう!しかもそのお魚の地元の呼び方も一緒に書いてみたら面白い」と思った瞬間に、ある人物が浮かびました。
デザインプロデューサーのmakoくんです。
私とは歳が一緒で水呑出身。公私ともに仲良くしていたmakoくんのイラストタッチで描いてもらいたいとすぐに連絡しました。それからは二人で夜な夜なミーティング。makoくんはイメージ通りで期待以上のデザインを出してくれました。そして「Tシャツ」にとどまらず、色々な構想やアイデア・夢を語らいました。さらに「ちりめん」のロゴマークをデザインしてくれていて、私は「それほしい」とおねだりして権利ごと買いました(笑)。そうこうしてできたのが**「鞆ちりめんTシャツ」**です。鞆の浦のなじみ深い地のお魚「ちりめんじゃこ」「ワタリガニ」「ネブト」「ちいちいいか」「えびじゃこ」「さより」の6種類をイラストと文字で表現。キッズサイズ・女性用のデザイン・大人男女兼用の3パターンで提案しています。色は基本白とグレーの2色展開。会社やイベントなどで大量に注文していただくときにはカラーの相談は受けています。そうやってできた「鞆ちりめんTシャツ」、気に入っているので毎日仕事で着ています(笑)。
この「鞆ちりめんTシャツ」のデザインには、私の「ちりめんプロジェクト」の想いが詰まっています。「鞆の浦の名物料理を作りたい」という思いには、観光で来られた方が、または鞆の浦に興味を持たれた方が「あれを食べたい!」と思っていただける商品が必要だと思った、という話は書いたと思います。でも、その先があると思っています。それは鞆の浦の**「小魚の魅力」**です。私は福山に来て「小魚の魅力」にはまっています。でもそれは最初からじゃなかった。「瀬戸内は小魚がおいしいけぇの~」と地元ではよく言うんだけど、正直「小魚」という響きにそれほどインパクトを感じられなかった。「鯛」とか「マグロ」とか「伊勢海老」みたいな「お~~」って感じがなくて。
でも**「ネブトのから揚げ」**を食べたときに衝撃を受けました!「こんな旨い魚料理食べたことない」と本当に思ったんです!東京築地にいれば日本中の美味しいお魚が集まると思っていたし、小魚のから揚げに感動するなんて思っていなかった。感動したんです。大げさに言ったら、私はこのネブトのから揚げに惚れて、この福山(南部)に住もうと決心したのかもしれません。少し大げさだけど(笑)、でも感動したんです。
そんな「感動を伝えたい」という思いは、私の中で勝手に自分の使命だと思っています。だから「鞆の浦の名物料理」の商品開発には戦略的に「ちりめん」を選んだけど、その先にしっかり地の魚、「郷土料理」を提案する仕組みを作らなければもったいないと思っているんです。何気なく近所のおばさんが炊いてくれる「小魚の佃煮」、時期になるとたくさん食べられる「エビじゃこのから揚げ」、もちろん「ネブトのから揚げ」。ネブトは南蛮も美味しいし、干物もめちゃくちゃ美味しい。サヨリやワタリガニ。ちいちいいかの天ぷらや刺身。こういった地の魚の魅力。よそから来られた方は、なかなか取っつきにくい気持ち、私はよく分かるから、だからこそ私の使命と思えるのです。「はあ…小魚ね…」と油断している観光客に感動を与えられるポテンシャルを、鞆の浦の小魚は持っています。
ちりめんプロジェクトは、鞆の浦の魅力を根こそぎ発信していくプロジェクトなんです。
私の住む町、水呑も含め**「福山南部に住んでいることが誇らしくて楽しい」**。そうなることこそが私の幸せだし、夢への通り道であり、夢そのものでもあります。