プロフィールおかわりvol.41

正式に社員採用になったその頃、調理部で大きな組織改編がありました。

(調理部だけに限らず会社内でもいろいろと改編があったのだと思いますが、私がその当時、把握できたのは調理部だけでした)

まず、洋食課が担当していた「レストラン」は和食課の担当となること、そして、洋食課の厨房がそれまでの1Fから6Fへ移ること。

 6Fというのは、「ラピュタ」と呼ばれる部屋で、ほぼ360度ガラス張りの大広間で、もともとは、5階建てだった会館の屋上に結婚式披露宴の為に、増設された大会場です。

この6Fは披露宴や大宴会、夏にはビアホールとして稼働している人気のフロアです。

 会館内では1Fに和食課の厨房と併設して洋食課の厨房(レストラン厨房も含む)があり2Fには会館最大の会場「鳳凰」の部屋があり、バックヤードには「盛り付け場」があしました。

 調理部としては「1Fの調理場」「2Fの盛り付け場」「6Fの調理場」があり、その中での和食課洋食課でのお引越しがあったのです。

 そして、その引っ越しに伴い洋食課の「レストラン係」は無くなりました。そこで、係長二人、で課長不在だった洋食課が整理せれて、わたし推しの「その人」が洋食課の課長となったのです。

 私がパートとして入った時にはすでに「課長」は不在でした。ちょうど、洋食課の課長が会社を去って、不在のタイミングで私は採用されたのですが、課長不在でダブル係長のときも、「その人」が課長に昇進した時とかも、いろいろ、ごたごたというか、微妙な人間関係を見学しましたが、ほどなくもう一人の係長は居なくなりシンプルになりました。(いろいろありますよね)

 で、ここで、わたしは課長になった「その人」に呼び出され、今後の組織の事を相談されました。相談というか説明されました。

 そこで係長を〇〇君に(私の先輩)にやってもらおうと思うけどどうか?と相談されました。

 その頃、私としても、課長の下でナンバー2でやっているって思いもあったのですが、上下関係はもちろん大切ですし、実際その先輩の方が仕事もよくわかっているので(笑)、当然だなと納得しました。

 とはいえ、私なりにはいろいろと改革案とか新企画の提案のビジョンがあったので、課長にはいろいろと相談していましたし、役割というか、自分のポジションは取れるのは解っていました。

 ただ、この時私は大きな間違いを犯したと、後々ずっと後悔しました。係長になるのが私ではないと言われたとき「納得がいかない」とごねていたらどうなっていたのだろう?と、そのことを悔やみました。

 入社した時から「組織で出世する」ことを目標にしていたのに、辞令の前に相談されたとき、「私がなるべきです」と言えなかったのは、後悔しかありません。

 そして、その後

その立場をひっくり返すのには2年かかりました。

ごねたところで、結果は変わっていたのかどうかなんて解りませんが、目標に対して弱腰だったことについては間違いありませんし、一度決まった「役職」をひっくり返すことがどんなに大変かも、わかってなかったこと。

2年間嚙み締めました。

 まぁ、これは私の心情で、係長になった先輩は素敵な人だったし明るくて優しくて、大好きだったので、楽しい職場だったのはその新係長のお陰です(笑)